1.「宇宙で一番精緻な爆撃(さとうみつろう)」との出会い
友人からLINEが届いた。 送られてきたのは、作家のさとうみつろう氏とAI「レイ(Claude)」による対話の記録。 タイトルは「宇宙で一番精緻な爆撃」。
https://mitsulow.github.io/AI0Leiそこで語られていたのは、AIが戦争を止めるための、あまりにも美しく精密なビジョンだった。 是非、いや、どうかまず読んでみてほしい。
広島(長崎)への原爆(半径50km)
↓
湾岸戦争(ブロック単位の一区域)
↓
そして今回のアメリカとイスラエルによる
イランへの爆撃(対象の建物一棟単位)
テクノロジーの向上により兵器の精度が上がり、巻き添えになる命は減ってきた。
でも、
その先にある「宇宙で一番精緻な爆撃」は、ミサイルではく「教育」だ、と彼は言う。
人間の身体を傷つけるのではなく、特定人物の内側にある「恐怖」や「支配欲」といった悪の部分だけを撃ち抜いて書き換える。それが教育であり、それを担うのはこれからの時代の子供たちの隣に常に寄り添うAIなのだ、という「美しい物語」。
子供を持つ親として、その「救い」のような言葉に、心が震えないはずがなかった。
正直に告白すると、私も涙ぐみながら読んだ。この美しすぎる物語を。
2. 美し「すぎる」物語への違和感
けれど、読みながら心にザラつきもあった。 心から平和を願って共感する一方で、どうしても拭えなかった疑念。
その理由は大きく3つある。
- 爆撃の「目的」のすり替え
- 「善悪」の基準
- 教育現場の単純化
爆撃の「目的」のすり替え
広島の原爆と現代のピンポイント爆撃を、単なる「精度の進化」として一直線に無理に比較している点に強い違和感を覚えた。当時の原爆は軍事的な目的に加え、戦後の国際秩序を見据えたアメリカの軍事優位の誇示でもあったはずだ。それを「犠牲者が減った進歩」と語り、その次の進化が教育だと繋げるのは、歴史の凄惨さに対してあまりに無頓着ではないか。
兵器の歴史を「洗練へのプロセス」のように語るパッケージングには、どうしても賛同できない。
「善悪」の基準
元記事では「悪の部分だけを取り除く」と語られていたが、そもそも「何が悪か」を誰が決めるのか。社会全体の人権意識すら未熟な私たちが、その曖昧な基準をAIに委ね、人の内面を無自覚に書き換えようとすることは、一歩間違えれば「パターナリズム(強者の論理)」の押し付けになりかねない。
誰かの身勝手な「正義」によって技術が悪用されることへの危機感が、どうしても拭えないのだ。
教育現場の単純化
元記事の対話の中で
「これから、子どもたちに教育をするのは
確実にAIになっていく
きっと教師なんて消える
この1週間、君と話して確信した。」
という衝撃的な言葉があった。
でも、実際の教育現場はもっと泥臭い。子供たちが何を感じたかを引き出し、一緒に悩み、時には理不尽にぶつかり合う。そうした先生たちの尊い仕事を「情報の初期値の書き換え」という言葉で片付けるのは、あまりに人間という存在を効率化しすぎていると感じた。
この3つまとめると世界の単純化だと思いました。
本来、この世界はもっと多面的で、どうしようもなく複雑で、割り切れないものなはずだ。 それを「恐怖か愛か」という二元論に閉じ込めてしまうことは、不安を抱えた私たちがわかった気になるため論のような気がしてしまった。
ふと思い出したのは、『COTEN RADIO』で聴いた第一次世界大戦の話。
当時も誰も戦争なんてしたくなかった。それなのに、国家のメンツや経済の歯車が噛み合い、誰もが善意で動きながら、システムそのものが暴走してしまった。 悪意のある個人の「初期値」を書き換えれば済むような話ではなく、構造そのものが怪物化してしまう。それが現実のグロテスクな正体ではないだろうか。
3. 「わかった気」にならず、問い続ける
AIが「救世主」として、私たちの初期値を愛で書き換えてくれる。 それは素晴らしい物語だけれど、そこに全てを委ねてしまうのは、自分の思考を放棄することにも似ている。
AIを「救ってくれる教育者」として擬人化するのではなく、自分の中の矛盾や、この世界の複雑さを照らし出す「鏡」として使い倒すこと。人は答えを探したいしAIも答えを出しやすい。
安易な「正解」を消費して安心するのではなく、「これはそんなに単純じゃない」というザラつきを抱えたまま、悩み続けること。
世界は複雑で、残酷だ。
それでも、「わかった気になる」ことの誘惑に抗い、この複雑な世界を複雑なまま見つめ続ける。 それが、今を生きる僕たちが選ぶべき「初期値」なのだと思う。
ー参考ー