それでも、抗う|エッセイ・意見

「役に立たない本をもっと読むべき」について(物理的)

役に立たない本を読んだほうがいい

ちょっと前、成田悠輔氏の「もっと役に立たない本を読んだほうがいい」という趣旨の発言に触れて、そうだよなーと、納得してしまった。
効率だけでは人の経験や感受性は育たないという主張です。
すぐ役立つ本だけを読んでいると、読み方も人生も「成果が見えるもの」だけに偏ってしまうので、そこから外れる読書が必要だ。という意味合いで、小説のように即効性や実利が見えにくいものこそ価値があるという文脈で話されてたみたいです。

概ね共感する一方で「役の立たない本」なんて全部そうだよなーとも思いました。そもそも、本なんて全部役に立たないと思っている。
というか、どんな本でも強引に役立たせようと思えば役に立たせられる、と思っています。

辞書を引いても見つからない「役立つ」の正体

ということで「役立つ」を辞書で調べてみました。こう書いてた 

役立つ – 役に立つ。 例「実際に—知識」

この面においては全く役立たない辞書だった。 

なので数ページ戻って「役」を引いてみた。いくつか意味がったがどれもしっくりこない。
その中でもこのひとつが一番近かった

【四:】そのものに備わっていて他のものに何か効果を及ぼす働き。

うーん。だけどやっぱりこれもちょっとちがう。 

読み進めると【運用】にこうあった。
「—に立つ」   

見つけた。語釈が三つありました。

  • 1 その仕事をするのに、十分な働きがある。
  • 2 十分つかえる。
  • 3 仕事を依頼した側のプラスになる。

しっくりくるのは「2」かな。全部わかるけど、どれもなんだか窮屈だね。

「役立つ」って、結局「目的」がないと使えない言葉なんだろうか。
何かを達成するために本を手に取って、読み終えて、その後目的を達成する。……それ、読書として全然楽しくないじゃん、と思ってしまいます。
僕は、世の中の多くの人が読書を「手段」として捉えていることに気づくのに、ずいぶん時間がかかった。自分はただ楽しいから読んでいたけれど、ふと周りを見たら「手段としての読書」があまりに多くて驚いてます。

もちろん、短期的に役立つために書かれた本を全否定はしない。そこが入り口になることもあるだろう。 でも、そればっかりの売り方の本棚って、なんだか悲しいし「うきうき」しない。何が書いてあるか想像もできない本に、偶然出会うのが書店の楽しさのはずだからなーと。

我が家で役に立ってる本たち

とはいえ、我が家ではちゃんと「役に立っている本」もある。
まず、僕の部屋では、数々の中公新書ズや岩波文庫隊が、読まれもせずに威厳だけを示している。
リビングでは『広辞苑』が娘のタブレットスタンドとして、これ以上ないほど役に立っている。
あと出かける時ってリュックに本を詰め込んでいくじゃないですか?それはもうほぼ筋トレ道具として役立ってるとしか言いようないですよね。おかげで靴のソールがすり減るのがすっごく早い。きっと靴業界の経済効果にも貢献してしまっている。

ただ、僕みたいな「読書が目的」のタイプには、少し厄介な部分があるのもわかっている。
僕は、すぐ曲解する。本当にすぐ曲解する。
小説だろうが人文書だろうが曲解しちゃう。ビジネス書や自己啓発本だって自分の理解で気持ちいい感じに読み終えるときも結構ある。

そんな人間が、ガチのアカデミックな本を読んでみなさい、という話だ。
あらゆる文脈を無視して、お作法も知らないまま自己流で読み解いて、「タノシイナー」なんて人に話す。……こりゃいかんよね、と思う。

靴のソールを減らしながら、読む

それでも、やっぱりやめられない。
成田悠輔さんの「役に立たない本を読んだほうがいい」という意見には賛同するけれど、僕の場合はそれを超えて、物理的に役立たせたり、勝手に曲解したりして、本との時間を楽しんでしまっている。

役立てるための読書でも役立たないための読書でもなくてね。
それでもー
靴のソールを減らしながら、自分勝手な解釈人間として重いリュックで今後も歩く。
そんなちょっと行儀の悪い読書が、僕にはちょうどいい。

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