今月頭の選挙、正直しんどい厳しい結果になりました。
皆さんは、どう感じられたでしょうか。
最近tから「どんな人に総理大臣になってほしいか」という話をしました。
周りは「今の総理のここが良くない」「もっとこういう要素を持った、具体的なあの人がいいんじゃないか」と熱く語っていました。
でも、私はそれを聞きながら、ふと考えてしまったんです。 「私の中には、理想の総理大臣像って……たぶん、ないかも」と。
もちろん、消去法で「この人ならまだ納得できるかな」という方はいないわけではありません。
でも、「この人がリーダーになれば国が良くなる!」というような、強い期待感のようなものがどうしても持てないです。
「一人の力」を求めない
なぜそう思うのかを深掘りしてみると、私は「だれか一人が何かを劇的に変えてしまう」こと自体、あまり望んでいないのかもしれない、という結論に至りました。
複数人で徐々にであれば自分の好みに合います。
もちろん、良い方に変わってくれるなら歓迎すべきことですが、トップが代わるたびに国全体が大きく振り回されるのは、あまり健全ではない気がしています。
プラトンの「哲人政治」という、優れた知性を持つ者が統治する考え方があります。確かに、もしトップが完璧な「哲人」であれば、うまくいくのかもしれません。でも、それなら周りで支える人々も、同じように「哲人」であってほしい。
トップ一人だけが突出していても、国という巨大な組織を運営する上では、あまり意味がないんじゃないかと思っています。
「誰が」よりも「誰たちが」
私は国に限らず、どんな組織に対しても、特定の強いリーダー像をあまり求めていないんだと思います。
それよりも、その下にある「内閣」というチームが、どれだけ多様な価値観で構成されているか、ということの方に惹かれます。
私自身のスタンスはリベラル寄りなので、自分に近い考えの人が多くいてほしいという気持ちはあります。でも、全員がリベラルだったら、それはそれで正しい運営では成り立たないおも思います。
保守的な考えを持つ人もいれば、リベラルな人もいる。その多様なグラデーションの中で議論がなされる状態が、私にとっては一番うれしい形です。
人間を信じきらない、きれない?
結局のところ、私は「一人の人間にすべてを委ねられるほど、人間という存在を信じきれていない」のかもしれません。むしろ期待しすぎないと決めてしまってるのかもしれません。
一人のリーダーに期待しすぎるのは、裏を返せば、その人が間違えた時のリスクをすべて背負い込むことでもあります。 だからこそ、誰がトップになっても、多様な視点が混ざり合うことでブレーキが掛かったり、別の道が示されたりする「仕組み」の方を信じたい。
「理想のリーダーは誰か?」という問いに答えられないのは、私なりの、人間という不完全な存在に対する向き合い方なのかなと思っています。


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