それでも、抗う|エッセイ・意見

わたし、武器輸出に反対してるのにNISAをやめれてない。

デモへ行った次の日もスマホで証券口座の評価額を確認してた。
自分でもびっくり。

武器輸出が解禁されつつある。このことは前にも書いたし、賛成派の論理と向き合おうとしたこともある。売る側が需要を作って、紛争が長引くほど儲かる構造。日本が「死の商人」の仲間入りをしようとしてる、と私は思ってる。

それに加担したくなくて、実際にデモにも行った。知らない人たちとプラカードを持った。何かが変わったかどうかはわからない。でも、行ってよかったと思ってる。

これは本当なんだけど、、、

でも同時に、NISAもしてる。インデックスファンドを毎月買ってる。そのファンドの中身は世界中の企業なわけで、そこには当然防衛関連企業も含まれてる。

その上で続けてる。知っているのに。

これってただの偽善だと、現状の肯定だと、加害だと、自分でも思う。

「反対してます」「武器を売るな」と言いながら、ちゃっかり恩恵を受けてる。ずるい。バラバラだ。

でも、「じゃあやめるか」と言われると、多分やめられない。

なんでやめられないのか、考えてみた。

老後が不安だから、子供の教育資金が不安だから、というのは本当だと思う。でもそれって、国が「自分で備えろ」って言い続けてきた結果でもある。社会保障を削りながら、「自立しろ」「投資しろ」って言ってくる。NISAだってその文脈の中にある。税金を非課税にしてまで自衛を求めてきてる。


課金で“自衛する側”にいる私が、広告規制に感じている事
これは「格差を考えるシリーズ」の番外編です。全5回で、「格差ってなんだろう?」や「なぜそれが問題なのか?」をこどもにも話せるように、ゆっくり考えていく予定です。今回は、最近話題になった広告規制のニュースをきっかけに、自分の「加担感」と「モヤ

「自助・共助・公助」って言葉がある。この順番が問題だと思ってる。公助が先にあってこそ、共助も自助も成り立つ。なのに国は公助を削りながら、自助を求めてくる。投資も子育ても介護も、どんどん個人に押しつけられてる気がして、そのことにずっと怒ってる。

その流れに乗っかってしまってる自分が、なんかいやだ。「資本主義のせい」「構造の問題だ」って無理やり整理もできる。でも、それで「だからしょうがない」と言い切れるかというと、なんか違う気もする。

構造の話に論をずらすのって、自分の「ずるさ」を構造に押し付けてるだけかもしれないから。

答えは出てない。

ただ、矛盾してることを、それでも言おうと思っただけ。

これがたぶん今の私にできる一番正直なことだから。

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