先日、国家情報会議設置法の概要を読んでいた。私はこの法案にはかなり反対な立場なのだけれど、それとは別に気になったことがあった。「外国情報活動への対処」「影響工作への対処」という言葉が繰り返し出てきた。
対処、か。対応でも対策でもなく?
なんとなくわかる気もするけど、こどもに「じゃあ何が違うの?」と聞かれたら答えられない。気になったので辞書で引いてみた
辞書でそれぞれを引いてみる
まず新明解国語辞典を引いた。
対処
ある事態に対応して処理すること。
シンプル。でも、定義の中に「対応」が出てくる。対処を説明するのに対応を使っている。
対応
ある種類に属する一つひとつが、ほかの種類の一つひとつに対して決まった関係にあること。二つの物事の間に均衡がたもたれること。状況の変化、それぞれの相手に応じて、それに相応しい行動を取ること。
定義が三つある。しかも最初の二つは数学的の話だ。むずい。
「急いで対応する」みたいな日常的な使い方は、三番目の意味から来ている。語の根っこは「均衡とかマッチング」みたい。
対策
好ましくない事態の出現を解決するために取る、また、相手の態度や事件の成り行きに応じて取る、手段・方策。
「手段・方策」。つまり動くことより、どう動くかを考えること込みの言葉。
処置
ある判断を下して、その扱いを取り決めること。また、その扱い。傷などに対してその手当てをすること。また、その手当て。
二つ目の意味は傷の手当てで、即時・現場の語感。でも一つ目は「判断を下して取り決める」という、わりと上からの話。同じ言葉なのに温度が違う。
措置
実務上必要な手続きを含めた、ある事態への対処の仕方。
まーーた「対処」が出てきた。辞書の中ではこうなっている。
対応 → 対処(対応して処理)→ 措置(対処+手続き・制度)
私にはだんだん重くなっていくように感じた。
措置の用例を見ると「法的措置」「断固たる措置」「措置入院」。措置入院は「自傷他害のおそれがあり、都道府県知事等の決定によって行われる入院制度」まぁ国家や制度が個人に行使する言葉だな…と感じる。
迫られがち
用例を並べていて気づいたのが、対処と対応には「迫られる」がよくつくということ。
「対処に迫られる」「対応を迫られる」。
追い詰められてから動く、という語感。受動的で、事後的。
一方、対策には「抜本的な対策」「打ち出す」という言葉がつく。打ち出す、は宣言する・発表するニュアンスがある。能動的で、前を向いている。
また、「対応策」という言葉がある。対応だけでは策にならない。策=計画を足して初めて前向きになる。対応は動きであって、計画ではない、ということかもしれない。
いつものやつで整理する
ここまで辞書の定義や用例を見てきて、頭の中で整理すると、それぞれの言葉はこんな感じの位置関係になる。
縦軸は「計画・制度寄り」↔「現場での実行・処理」、横軸は「事前」↔「事後」

対策は左上。事態が起こる前に、どう備えるか、どう防ぐかという計画や方針に近い。
対処と処置は右下。その場で起きたことに対して、実際に動く言葉だ。
ただし、処置は応急手当てや個別の判断と結びつく場面が多く、対処よりも対象が具体的な印象。
措置はその中間あたり。制度や権限、手続きを伴って実行されることが多く、事前にも事後にも使われる。
そして対応は真ん中にある。事前の対応も事後の対応もあるし、計画を指すことも、実際の行動を指すこともある。広く使えるぶん、輪郭も少しぼやけている。
「事前対処」ってなぜ変なのか
「事後対策」「事前対処」と言うと、なんとなく変な感じがしないか。
対策は「手段・方策」だから、本来は事前に考えるもの。事後につけると「もう起きてから何の策だ」というテンションが生まれる。対処は事態が起きてから動くものなので、「事前に対処」だと「まだ起きてないのにどう処理するの」となる。
この「なんか変」という感覚が、実は語の本質を一番正直に教えてくれていると思う。辞書で定義を読む前から、違和感としては持っていた。
言葉ってそういうものかもしれない。
最後に
改めて、私はこの法律には反対の立場だけれど、その是非とは別に、「対応」でも「対策」でもなく「対処」が選ばれていた理由は、この記事を書く前より少しだけ見えてきた気がする。