今日、Xでこんな投稿を見かけました。
「外交で媚を売る行為は、自分を殺して相手を持ち上げる営業の仕事に似ている。経験がない人にはわからないだろう」という趣旨のものです。
現役で営業職に就いている身として、この論には強い違和感を覚えます。
これは同じ営業として捉えられたくない自分の保身のためにも書く記事です。
「営業のプロ意識」と「外交の本質」の両方を履き違えていると感じています。
1. 「戦略的共感」は目的達成の手段に過ぎない
営業において「戦略的共感」は欠かせない技術です。相手の話に耳を傾け、懐に入ること。しかし、これはもちろん「こちらの目的を達成するため」の手段ですし、もっというとその「目的」とは私個人の目的ではなく、組織の代表として果たすべき役割です。
大事なのはこの「目的」の時間軸をどこに置くかだとおもってます。
- 短期的な好感: その場を丸く収める、相手に気に入られる。
- 長期的な利益: 継続的な取引、正当な利益の確保、信頼の構築。
「自分を殺す」ことによる相手に好かれることを目的化してしまい、結果として組織の利益を損なったり、守るべき一線を越えて譲歩したりするのは、誠実でも堅実でもありません。
長期的に利益を生まない媚びの営業は、組織にとっても組織員にとっても最悪の部類に入ります。
2. 外交相手は「お客様」ではない
最大の違和感は、外交相手をあたかもお客様かのように話してるところです。
ビジネルの顧客であれば、最悪「契約を切る」という選択肢はあります。しかし外交、特に対米外交などは外交を断つのは現実的ではないと思います。
逃げ場がなく、本来は「対等」を目指す国家間の交渉。その場において、最初から「自分を殺して相手を持ち上げる」という媚びの接客マインドで臨むことは、自ら交渉権を放棄しているようにみえます。

相手を一方的に持ち上げ、対等さを捨てて多額の国益を差し出す。それはもはや「交渉」でもなんでもありません。
単なる「従属」であり、相手に「強く押せば通る」と学習させるリスクもあります。一度こうした誤った学習をさせてしまえば、今後の交渉ではさらに高い代償を要求されることになる。と思います。
何より、件の行為を「営業」としてるのは個人的に強い違和感、あるいは憤りすら覚えます。
3. 「経験」を盾にするポーズの危うさ
最後に、投稿の結びにあった「自分を殺して相手を持ち上げる仕事をしたことない人には分からないだろうな」という一言についても触れておきます。
そもそもこの行為が目的化してることには反対したいが、その上でも営業の現場において、「自分だけが真理を知っている」という態度で他者を見下すポーズは、だいぶ避けたい態度だと思います。
相手を「無知な顧客」と決めつけ、経験を盾に自分が優位に立とうとする姿勢。それは、信頼関係を築くプロセスを自ら放棄しているに等しいからです。
自らを「営業マン」と称しながら、最も大切な「対等な対話」と「誠実な役務提供」を軽視していると思います。その矛盾に気づかないまま語られる言葉には、やはり強い違和感ビシビシでした。
さいごに
本当の意味での知的なコミュニケーションとは、自分を消すことでも、単に相手に好かれることでもありません。互いの立ち位置を明確にした上で、泥臭く「落とし所」を探る対話こそが、交渉の本質であるはずです。
たしかに相手に気に入られることは短期的に利益はあるかもしれない。
それでも、自分を殺して相手を持ち上げることを「外交の技術」として正当化する論理と、
そんな卑屈な外交を露呈させた高市首相に対し、現場のプライドを持つ営業職として、そして一人の市民として、私ははっきりとNOを突きつけたいと思います。